あの夏、土埃と交わした約束(小林選手考)
第89回全国高等学校野球選手権大会(2007年夏の甲子園)決勝戦。
8回裏、4点をリードした強豪校の守り。一死満塁、カウントはスリーボール・ワンストライク……
命運を分けた5球目の微妙な判定に、当時18歳の高校生は土埃がテレビ画面に映るほど激しく、キャッチャーミットでホームベースを叩きました。
現ジャイアンツの小林誠司選手です。
マウンドは現カープの野村祐輔投手。
リアルタイムでこのシーンに出合い、閉会式で準優勝メダルを受け取るバッテリーを見て思いました。
二人は、これからどんな人生を、どんな思いを抱いて生きていくのだろう…
折しも、大会開幕日にベースボール・ジャーナリストの横尾弘一さんが「四番、ピッチャー、背番号1」という、高校球児のその後の人生を追いかけたノンフィクション(書籍)を発表していました。
小林選手の大学進学以降の球歴はジャイアンツファンの誰もが知るところですが、背番号22のユニフォーム姿に、時々、こう邪推します。
――小林誠司は、もともとかなりの熱血漢で努力家で「スポ根」の持ち主なのに、心のどこかに「達観」めいた部分があるのではないか、と。
これは、ファイターズの斎藤投手も同じです。
あの夏の甲子園で、野球人生のわずかな部分が燃え尽きてしまったのではないか、と。
しかし、仮にそうだとしても、小林選手と斎藤投手の燃え尽き方はまるで違う類(たぐ)い。
小林選手は高校野球の頂点に立っていません。そして、大学野球を経て、社会人野球も経験しています。
企業チームはプロ野球選手になりなくてもなれない選手がほとんどで、小林選手は先輩たちのそうした「悔しさ」をチームメイトとしてリアルに見てきているのです。
高校野球で自身が「悔しさ」を知り、社会人野球で仲間の「悔しさ」を見てきた男は、だから、誰よりも強く、グラウンドへの意地と情熱を持っているはず。
社会人時代のインタビューで、小林選手は「泥臭さ」を覚えたと語っています。「あの(甲子園決勝の)キャッチャーがこんなに成長しているって言われるくらいの選手になりたい」とも答えています。
1球の判定に泣いた「悔しさ」を胸にしまい、攻守ともに活躍する選手になる…あの夏の日、小林誠司という野球人は、ホームベースの土埃とそんな約束を交わしたのだと信じます。
達観し、燃え尽きるのは、十年、十五年先。阿部選手の後継者として、ジャイアンツの要となり、チームを優勝に導き、日本を代表するキャッチャーになってほしい。
社会人時代のコメントをもうひとつ。
「相手バッテリーが嫌がるような、いやらしいバッターになりたい」
今シーズン(5月24日現在)、141打数27安打・打率.191…
小林選手の戦いは、まだまだこれから、です。